2012-08-26

アリーヤ“Miss You”制作秘話



8月25日、早いものであれから11年。以前に、わたくしの大好物なプロデューサーのひとり、テディ・ビショップの素敵なインタビュー記事を発見したので、そこで語られたアリーヤ“Miss You”の制作エピソードをご紹介したいと思います。

これはインディ・ソウル系の素晴らしいウェブメディア YouKnowIGotSoulによるテディ・ビショップのインタビュー記事「Interview: Radio Constantly Changes But Teddy Bishop’s Ability To Diversify Allows The Quality Of His Music To Stay The Same」の中で語られたもの。

「あれは面白いセッションだったよ。なぜって、あの曲は元々ジニュワインのために書かれた曲だったからね。

僕たちは一緒にスタジオにいて、アリーヤの曲を流していた。そのとき彼女は、僕とジョンテイ(・オースティン)が最近どんな曲を作ったのか、聴きたいって言いだして。それでいくつか聴かせたら、『ちょっと待って、今の曲をもう1回聴かせて!』って言ったのがあの曲(“Miss You”)。そしてもう一度聴かせたら、『この曲をレコーディングしたい』って言ってさ。『うーん、これジニュワインの曲なんだけど』って話したら彼女は、『別にいいじゃない。私はこの曲をレコーディングしたいの』と答えて。それで彼女はジニュワインに電話をかけて、『ねえ、あなたがもうレコーディングしたのは知ってるけど、どうしても私、この曲を歌いたい』って説得し始めて。ジニュワインはあの曲のライターのひとりでもあるから、彼にとっても得になる話だったし、そもそもふたりは同じキャンプ(※ダ・ベースメント)の仲間だしね。ジニュワインが了承して、アリーヤがレコーディングしたんだよ」

なんと、元々はジニュワインのために制作された曲だったんですねー。それをアリーヤが聴いて気に入ってしまい、自ら直接Gに電話して交渉、快く譲ってもらえたようで。ということはG版のデモも存在する??

(なぜリリースまでにこれほど時間がかかったのか?という質問に対し)
「あの曲をプロデュースしたとき、レーベル側は当初、ヒット曲になると考えてなかった(から未発表となった)。当時、レーベルはいろんな曲をお蔵入りさせてたんだよ。

だけど残念ながら彼女が亡くなってしまい、まるでレーベルはその死に突き動かされるようにして、あの曲を世に出したんだ……だって、“I miss you”(「あなたがいなくてさみしい」)と歌われる曲だからね。アリーヤはあの曲をすごく気に入ってたんだ。本当に気に入ってて、リリースしたいと思ってくれていたんだよね。でも、レコーディングしてから2年経って、ようやく陽の目を見た。

この世界ではこういうことはたまにある。ある曲を制作して、リリースまで3~4年は放置されたのに、発表されると話題になったりして。当然世間は、最近レコーディングしたものだと思うんだよね。面白いストーリーだよ。作った当時はレーベル側はヒットしないって考えていたのに、彼女が亡くなった機会に乗じて発表したらヒットしたんだから」

この“Miss You”は未発表曲としてアリーヤの亡き後に発表されたわけですが、発表までに2年かかった……ということはやはり『Romeo Must Die』サウンドトラック(2000年)制作時、ヌーンタイム勢とのレコーディングの中に吹き込まれた1曲だったのでしょうね。ただ、曲自体は元々はジニュワインの曲だったという話ですから、テディ・ビショップ×ジョンテイ・オースティン×ジニュワインという同じ布陣で作られた“All Nite All Day”が収録されている『100% Ginuwine』(1999年)の時点で作られたものだったのかも。



ちなみにこのジニュワイン『100% Ginuwine』には、アリーヤとの“Final Warning”が収録されていますが、これはティンボ×故スタティックの制作。アリーヤがスタティックの書いた曲を歌うようになった初期のものになりますね(世に出たのではプレイヤ“One Man Woman”が先ですが)。




ところでこのYKIGSのインタビュー記事、他の話もすごく興味深い。

たとえばトニ・ブラクストン。テディはキャリア初期、トニの(ソロ・)デビュー作『Toni Braxton』(1993年)で“Love Affair”という曲を手がけてましたが、これはテディがアトランタへ移住(出身はどこなのだろう?)した際にLaFaceと仕事できる機会があり、これをきっかけにLA・リードがテディを起用したようです。LA&童顔とでは、LAさんのほうが学ぶことが多かったとのことで、それは曲の作り方どうこうというよりは、アーティストの育て方などA&R的視点やビジネスをここでは学んだという想いから来てるんでしょうな。

またテディ・ビショップの代表作のひとつにトニの“Just Be A Man About It”(これもジョンテイ絡み)が挙げられると思いますが、この制作エピソードも。1stアルバムを手がけて以来、トニから「また参加して」との声がずっとかかっていたそうですが、3rd『The Heat』(2000年)で再タッグが実現。自己破産問題後のカムバック作ということで、どういう曲にするかは色々と話したのだそう。ドクター・ドレーの参加についてはたまたま隣のスタジオにいたから、ということのようですが、元々はマーティン・ローレンス、ウィル・スミスにお願いしたものの両者ともスケジュール合わずで断られたという経緯があって、ちょうど近くにいたドレーにお願いしたようで、ドレーはこのこと知ってるんでしょうか?(笑) しかしそういう偶然が重なってドレーがナレーションを務めたとのこと。



また、「2006年に仕事をしたことがあるから」(2002年の『Just Whitney』——ボビー・ブラウンとの共演“My Love”をプロデュース——ではなく? 『I Look To You』絡み?)よくホイットニー・ヒューストンについて訊かれるそうですが、先のとおり昔はLaFace周りで仕事をしていたので1992年の『The Bodyguard』サントラの時にすでに仕事をしていたとのこと(演奏のクレジットでしょうか、いま手許にないので確認できず)。2006年に仕事をしたときは彼女に家に呼ばれ、一週間近く滞在したとか。たしかに彼女は問題を抱えてはいたけど、それでもとてもスウィートで素晴らしい人だったと話してます。テディはその名前からホイットニーからは「ザ・ビショップ」と呼ばれ、牧師さま扱いされたそう(笑)。

ちなみに他にもラトーヤの“Torn”の話とか(割愛しますが)。テディはここ6年ほどはインディ系映画のスコアを色々やってたんだそうな。もちろん楽曲プロデューサーとしても活動は並行してやっていて、特にダンス系の女性アーティストをがっちり手がけているそう。わたくしとしてはメロウで渋くてスウィートなテディ's ジャムがいいっす……。ザ・ブラクストンズぷちリユニオンなトニの “You've Been Wrong” とかトータル・コミットメントの“So Amazing”とか大好物なんですけど。

ほかにもプリンス・ロイスという、Atlanticと最近契約したラテン系アーティストや、ロイドなんかも手がけているとか。あと「アジアのグループ」ってのも言ってるんですけど、これ誰のことなんでしょう。ゴスペラーズじゃないですよねぇ。気になる。