2021-06-27

ジョンテイ・オースティンが90年代前半にネプチューンズとアルバムを作っていた件

いや、ちょっと貴重な話の宝庫すぎて。

マライア・キャリー“We Belong Together”(2005年)、メアリー・J.ブライジ“Be Without You”(2005年)など数々のヒットを手がけた名ソングライターとして知られるジョンテイ・オースティン。

彼のインタビューがAP通信で公開されたのですが(「How songwriting saint Johnta Austin rewrote his career」)、のっけから衝撃的。いつものように連投ツイートで訳そうと思ったんですが、濃い話が多すぎて、久々にブログ更新してみました。#6~8は余談ですが、一応。

  1. 90年代前半にキッズ・シンガーとしてデビュー予定だった
  2. SWVの“Use Your Heart”の仮歌を歌っていたのはジョー?
  3. タイリースの“Sweet Lady”は本来はジョンテイの曲だった
  4. アリーヤが“Miss You”を歌うことになったウラ側
  5. アッシャーとは12歳の頃からのキッズ・シンガー仲間
  6. ジャネット・ジャクソンからダンスレッスンを受けた
  7. “We Belong Together”の制作に参加していない可能性もあった
  8. ビヨンセがマライア・キャリーに「I'm sorry」と言ったワケ


1. 90年代前半にキッズシンガーとしてデビュー予定だった

なんと90年代前半にキッズ・シンガーとしてデビュー予定で、ネプチューンズ(ファレル・ウィリアムス&チャド・ヒューゴ)、ジョー(・トーマス)らとアルバムを制作していたそう。

13歳でRCA Recordsにスカウトされたのだとか。しかし、声変わりが原因で、15歳でクビに。

ジョンテイは80年生まれなので、1993〜1995年の出来事でしょう。

AP通信はファレルにも話を聞いていて、ジョンテイについて振り返って曰く、「当時からとんでもない才能の持ち主で、すごい14歳だった」と。ということは、ファレルと一緒にスタジオに入っていたのは94年頃ということかな。

ジョンテイは、ちょうどネプチューンズがSWVの“Use Your Heart”を制作中の頃、とも振り返ってます(※曲がリリースされたのは96年)。

しかし、90年代前半にデビュー予定があったとなると、ジョンテイはますます苦労人ですね。ソングライターとしての成功を経て2005年にデビュー・アルバム『Ocean Drive』がアナウンスされるも延期の末にお蔵入り。2019年になってようやく『Love, Sex, & Religion』を発表したわけですから、実に四半世紀をかけて“アルバム・デビュー”を果たしたことになります。

米TBSで80年代~90年代に放送されたキッズ番組『Kid's Beat』に出演していた頃のジョンテイ(年代は不明)


2. SWVの“Use Your Heart”の仮歌を歌っていたのはジョー?

ジョンテイのレコーディングは、アトランタのダラス・オースティンのスタジオで行われていたそうです。ネプチューンズのふたりはまだ若く、学生だったチャドは授業のためにヴァージニアに帰ったりしてたとかなんとか。

この現場にジョーもいたのだそうですが、ジョンテイ曰く、SWV“Use Your Heart”の仮歌はジョーが歌ってたとか。「今(の音源)でもジョーの昔のアドリブが聞こえるはずだよ」って言ってますが、マジですか? 

でも確かに「ボーカル・アレンジ」のクレジットは「ジョー・トーマス、タミー・ルーカス、ネプチューンズ」って並びでしたもんね。まぁあくまで初期デモ段階のことで、最終的にはタミー・ルーカスが歌ったデモ音源がSWVに渡されたのではと想像しますが……。


3. タイリースの“Sweet Lady”は本来はジョンテイの曲だった

15歳(1995年頃)にRCAをクビになったジョンテイ。

タイリースに提供したSweet Lady”は本来は自分が歌う予定で書いた曲だったそう。タイリースは“ジョンテイと代わるようにRCA入りした”ため、「『こいつに歌わせたくない』って思ったよ。俺の場所を奪ったと当時考えてたから。会ったこともなかったのにね」と告白。

結局、1998年にリリースされたこの曲はR&Bヒットとなり、タイリースに初のグラミー・ノミネーション(1999年の第42回グラミー賞で最優秀男性R&Bパフォーマンス部門の候補になった)を与えることになったわけで、ジョンテイとしてもキャリアの転機となったわけですが。


しかし、タイリースのRCA入りは1998年のはずなんだけどな……と思ったのですが、“Sweet Lady”をプロデュースしたキャラクターズの片割れであるトロイ・テイラーはYouKnowIGotSoulの1年前のインタビューで、この件に触れていました。

トロイの話では、RCAの社長が交代し、A&Rも変わったためにジョンテイはクビとなったのだそう。確かに95年の1月に社長が辞任し、交代したと報じている記事がありました。この際、新社長と新しいA&R(アンソニー・モーガン)は「ジョンテイと変わらない年齢の男」(名前は口にしませんでしたが、文脈からタイリースのことでしょう)を連れてきており、そのためにジョンテイはクビになったとしています。ジョンテイの言い分は正しかった。

そして新A&Rのモーガンはトロイのもとを訪れ、この新人への楽曲提供を依頼したとか。ジョンテイをクビにした当人ですから、最初はトロイも断ったようなのですが、当時ニューヨークのお高いエリアにスタジオを構えており、何かと入り用だったトロイは結局、音源を聞かせることに。その中でモーガンが目を付けたのが“Sweet Lady”でした。

当時まだサビとトラックくらいしかできてない未完成状態だったそうで、「完成させろ」と要請されます。気が進まないトロイですが、アトランタに戻っていた当時15歳(「17歳かも?」)のジョンテイに電話をし、事情をよく理解していないジョンテイに「ヴァースを書いてくれ」と要求。古い音源だったため、電話ごしに改めて未完成状態の曲を聞かせ、ジョンテイはヴァースを完成させては電話ごしに伝え、トロイがダメ出しをし……を繰り返して完成。ジョンテイが留守電に残した歌詞がそのまま採用されたとのことです。


ところで“Sweet Lady”については、以前からカール・トーマスが自分が書いた曲だと主張してるんですが……上述のトロイの話ではカール・トーマスの名前が全然出てこないことを考えると、大きく関与していたとは考えにくいでしょう。当時、キャラクターズがジョンテイのアルバム制作に関わっていたらしいことを考えると、“Sweet Lady”の初期の(サビとトラックだけの)デモ制作にちょろっと関わっていたとか、ニューヨークを離れていたジョンテイの代わりに仮歌を担当した程度ではないでしょうか? 

なお、ジョンテイは(当然でしょうが)カール・トーマスとも当時から交流があったようです(#5で後述)。

ジョンテイとトロイ・テイラー


4. アリーヤが“Miss You”を歌うことになったウラ側

アリーヤが亡くなった後に秘蔵音源として発表された“Miss You”は、「元々はジニュワイン用に書いた曲だったものの、アリーヤが気に入り、『私が歌いたい』と頼んできた」という逸話は有名ですが……ジョンテイの話では、その裏では駆け引きもあったそう。

当時、ジョンテイたちは“I Don’t Wanna”をアリーヤに送っており、彼らのチーム(ヌーンタイム)はアリーヤにこの曲を歌ってほしかったため、ジョンテイのマネージャーは「“I Don’t Wanna”を歌ってくれるのなら(“Miss You”を渡す)」と交渉したそうな。

ジニュワインの話では テディ・ビショップの話では「アリーヤに説得された」って経緯だったのに(*)、まさか“I Don’t Wanna”が“Miss You”のバーターだったとは……。

* 昔自分で書いてましたわ……詳しくは「アリーヤ“Miss You”制作秘話

たしかにヒットはしませんでしたが、いい曲なんですよね。ジョンテイ曰く、ファレルもお気に入りの1曲だったそうで、「当時からずっと変わらないことなんだけど、ファレルは俺に会うたびに『ジョンテイ・オースティンの曲で一番好きな曲』って言って(“I Don’t Wanna”を)口ずさむんだ」のだそう。


5. アッシャーとは12歳の頃からのキッズ・シンガー仲間

そりゃそうだ。同じアトランタで、キッズ・シンガーとして活動していたのなら、そりゃあ交流ありますよね。

特にジョンテイとアッシャーはニューヨークでひたすらオープンマイク・イベントに参加していた時代も一緒だそう。ジョンテイが14~15歳といっているので94年~95年頃でしょう、この頃オープンマイクに参戦していた面子には、ジョー、デイヴ・ホリスター、112らもいて、ジョンテイはカール・トーマスやトロイ・テイラーとよく一緒にいたと。トロイ・テイラーは前述のとおり“Sweet Lady”を手がけたキャラクターズの片割れであり、カール・トーマスとキャラクターズは「フォーミュラ」というグループを結成していた時代ですね。

で、2歳年上のアッシャーとは同じアトランタということもあって12歳の頃から知っている仲だそうで、アッシャーが“Call Me A Mack”でデビューし、ジープ ラングラーを手にすると、彼の車で遊び回っていたそうです。その遊び仲間にはジェイソン・ウィーヴァーもいたそうで。そういや、ジェイソン・ウィーヴァーが96年に発表したEP『Stay With Me』のうち、“Realize”はジョンテイ+キャラクターズ仕事でした。

アッシャー、ジェイソン・ウィーヴァーと仲間が続けてデビューし、特にアッシャーは97年の『My Way』でブレイクするわけで、ジョンテイは腐ってもおかしくないですが……むしろアッシャーの活躍にインスパイアされるところが大きかったとか。まぁ今振り返って言うことなので、当時どう思ってたかはわかりませんけれども。音楽からしばらく離れることになるジェイソンも、当時どう思ってたんでしょうねぇ……。

ジョンテイとアッシャー


6. ジャネット・ジャクソンからダンスレッスンを受けた

役得ってやつですか。

2006年に発表されたジャネット・ジャクソン『20 Y.O.』にソングライターとして参加したジョンテイですが、レコーディング中にはこんなエピソードが。

曰く、テレビでフレッド・アステアの映画が流れていて、初めて観たジョンテイは「マイケルの動きってここから来てるのか!」と驚いたらしく、ジャネットから「観たことなかったの?」と逆に驚かれたそう。そこでジョンテイがマイケルのダンスを真似し始めると、ジャネットが「違う、違う、そこはね……」と指導する流れに。妹直々にマイケルのムーヴを教わったのだとか。制作者ならではの贅沢なエピソードですね。

ジョンテイとジャネット・ジャクソン


7. “We Belong Together”の制作に参加していない可能性もあった

全米チャート14週1位のメガヒットとなり、マライア・キャリーの大復活劇に貢献した“We Belong Together”。しかしジョンテイが契約している音楽出版の担当は、マライア仕事から外れるよう勧めていたのだとか。

この担当はジョンテイを別のプロジェクトに参加させようとするも、ジョンテイはマライアとの制作を続けたいと返答。すると、「正気か? あの『Glitter』のマライアだぞ? (マライア仕事を)断らないなんて信じられない」と言われたのだそう。マライアの復活作『The Emancipation of Mimi』はLA・リード肝煎りのプロジェクトのはずですが、業界的には『グリッター きらめきの向こうに』の大コケの印象が強く、冷めた目で見ていたということでしょうか……。切な……。

ちなみにマライア(とJD)とのセッションで最後に生まれたのが“We Belong Together”だったそうで、ジョンテイが折れていたら、あの大ヒットは存在していなかったのかもしれません。

ジョンテイとマライア・キャリー、ジャーメイン・デュプリ、アッシャー


8. ビヨンセがマライアに「I'm sorry」と言ったワケ

大復活したマライア・キャリーは2005年、5年ぶりにグラミー賞のノミネートを受けることになり、“We Belong Together”で最優秀R&Bソングと最優秀女性R&Bボーカル・パフォーマンス、『The Emancipation of Mimi』で最優秀コンテンポラリーR&Bアルバムと3冠に輝くわけですが。

8部門ノミネートを受けたマライアは、主要4部門中3部門の候補になっており、“We Belong Together”はソング・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤーの候補でした。

ソング・オブ・ザ・イヤーを発表したプレゼンターはデスティニーズ・チャイルドだったのですが、U2の受賞が発表された際、ジョンテイによれば「カメラに映っていたか知らないけど、発表の後、ビヨンセがマライアのほうを向いて『I'm sorry』って言ってたのを覚えている」とのこと。

歴史的なヒットとなった“We Belong Together”が受賞して当然、みたいな空気があったせいでしょうかね。マライアの心境を慮ったのでしょう、ビヨンセらしいエピソードです(ジョンテイの気のせいor思い込みで、実際はそんなことなかったのかもしれませんが)。


なおその翌年には、メアリー・J.ブライジが8部門ノミネートを受けるわけですが、ジョンテイが書き、やはり大ヒットとなった“Be Without You”は同じくソング・オブ・ザ・イヤー、レコード・オブ・ザ・イヤーの候補にもなったものの、受賞はならず。しかしその結果には納得しているようです。

「あの晩、まず(“Be Without You”は)最優秀R&Bソングに輝いて……。ディクシー・チックスが(“Not Ready to Make Nice”を)パフォーマンスしたんだ。歌詞を聴いて、俺はマネージャーに向かって『出よう』って言った。当時の大統領を批判した、すごいものだった。それで『これは勝てないな』って思ったんだよ」

2020-05-23

ブライアン・アレクサンダー・モーガン、SWV新作への参加&未発表音源リリース予定を明かす



SWVの数々の名曲を手がけたことで知られるブライアン・アレクサンダー・モーガンが、インディを中心に良質なR&Bを語るYouKnowIGotSoul.comの公開インタビュー@IG Liveに登場。

当時のSWVの制作エピソードも話していましたが、一番最後に爆弾を落としました。

(SWVのニュー・アルバムに参加する予定は?という質問に対し)
もちろんだよ! マイメンのJ・ホワイトもね。カーディ・Bやメーガン・ザ・スタリオンをヒットさせた奴だ。Jと俺が一緒に組んでSWVのニュー・アルバムを手がける予定だ。クレイジー~♪ Jの感性光るビートに、俺のセンスが加わるってすごいことになりそうだろ? だから新作は、オーセンティックなSWVもありつつ、新しいヒネリも加わるんだ。素晴らしいものになると思うよ。

それから、俺のレーベルからSWVの未発表音源をリリースする予定だよ。数ヵ月以内に。これは、『BAM's Rare & Unreleased Remix』っていうプロジェクトなんだ。無駄になった古い音源や、これまで使われてこなかった音源、他の人に提供しようと思った音源とか。フィーチャリング・ゲストも予定しているんだ。ヤバいでしょ。

なんと、SWVのニュー・アルバムに、実に『Release Some Tension』以来20年以上ぶりにブライアン・アレクサンダー・モーガンが参加する予定とは! しかもこの新作に、J・ホワイトまで参加するという情報が。
J・ホワイトは、“Bodak Yellow”、“I Like It”といったカーディ・Bの大ヒットシングルや、メーガン・ザ・スタリオンの今まさにヒット中の“Savage”などを手がけてきたトラップ界の売れっ子中の売れっ子プロデューサーです。ティナーシェやラトーヤといった女性R&Bシンガーを手がけたこともありますが、SWVとの組み合わせはどんな感じになるんでしょうね。

そしてそして、ブライアン・アレクサンダー・モーガンの未発表&レア音源集。
実は少し前に、未発表音源やデモをSNSでシェアしてきたモーガン(なのでYTで検索すると色々出てきます)。コメント欄などで、これら未発表音源をまとめた作品(『BAM's Rare Remixed & Unreleased』が正式なタイトル?)の発表を仄めかしてはいましたが、本当に具体的にリリース予定だとは。
SWVの未発表音源があるというだけでR&Bファン注目の的となりそうですが、彼は元々、80年代にWarner Bros.と契約していたR&Bグループ(カシェイ・ドゥ・ヴォワ Cachét De Vois)からキャリアを始めており、彼のソロ音源あたりにも期待したいですね。

ちなみに彼のYouTubeチャンネルにはエリック・ベネイに提供した“Dust In The Wind”のデモ音源あり。自ら歌っているものです。このインタビューでも言及されており、「自分のデモに忠実に歌ってくれたから気に入っている」と話していました。






さて、SWVの制作秘話などについては以下に綴っていきましょう。


2020-05-22

ケリ・ヒルソンが語る、オマリオン“Ice Box”のとある真実



ジョンテイ・オースティンが定期的にやっているトークライブ@IG Live〈The Mastery〉に、ケリ・ヒルソンが登場。インタビューに応じました。

クラッチ結成のエピソードからジョンテイとの出会いまで色々語られていましたが、面白かったのがオマリオン“Ice Box”のエピソード。
“Ice Box”にティンバランドの声は一切入っていない、と明かしました。ティンボに聞こえる声はすべて、クラッチのひとり、ジークことイジーキエル・ルイスによるものだそう



ティンバランドらがプロデュースし、クラッチがソングライティングを手がけた“Ice Box”。言われてみればクレジット上も、backing vocalsに記載があるのはPatrick "J Que" SmithとEzekiel "Zeke" Lewisの2名のみ。
なぜティンボの声と思い込んでしまっていたのか……?と一瞬考えてしまいましたが、ミュージック・ビデオでティンバランドがリップシンクしているからでした。そりゃティンバランドだって思いますわ。場合によっては、featuring Timbalandの表記があることもありましたね。



では、ケリ・ヒルソンが“Ice Box”について振り返る場面を見てみましょう。抜粋してご紹介します。

2020-04-26

「SWV “Right Here/Human Nature”を作ったのは誰か?」問題 (5/23追記)



先日行われたVerzuzの〈Teddy Riley VS Babyface〉。最高で50万人以上が同時視聴し、豪華な顔ぶれがコメント欄に登場するなどまさにR&Bの祝祭といった盛り上がりぶりでした。
*〈Verzuz〉は、スウィズ・ビーツとティンバランドが始めたプロデューサー/ソングライター対決シリーズ。不定期に開催されている。互いに自分が手がけた楽曲を掛け合うという趣旨の企画で、対決という構図ではあるものの、実際に勝敗を決めたりはしない、あくまでエンタメ企画。

タイリースの「Throw in the tile」発言がミーム化したりもしましたが、特にテディ・ライリーの回線不調などがネタ化、もはやテディ・ライリーという名前がイコール「Wi-fiが弱い」を意味するジョークとして定番化しつつあったりと、様々な余波がありました。

その余波の中で、興味深いものがひとつ。SWVの名曲“Right Here/Human Nature”を手がけたのはテディ・ライリーではなく、オールスターだ、という驚きの主張がブライアン・アレクサンダー・モーガンによって為されたのです。
これはVSの中で、テディ・ライリーが“Right Here/Human Nature”をプレイしたことに端を発します。テディ・ライリーの名リミックスのひとつとして記憶されていますが、一体どういうことでしょうか。

5/23追記:ブライアン・アレクサンダー・モーガンがIG Liveのインタビューの中で改めてこの件について話していたので、文末に追記しました。



“告発”はまず、原曲の作者であるモーガンがInstagramに上げた投稿から始まりました。曰く、“Right Here/Human Nature”は、オールスターが100%手がけたリミックスである、と。
これに対し、古くからテディと一緒にやってきたプロデューサーであり、“Right Here/Human Nature”にも関わったとされる(ノークレジット)ウォルター“ムーチョ”スコットが反論する展開に。
ムーチョは、「オールスターはHuman Nature Remixには一切関わっていない」、「オールスターが関わったのは別のリミックス」と述べ、モーガンが「少なくともビートはオールスターが作ったというのは間違いない」と言えば、ムーチョは「ドラムループは俺がAKAI 3000で作った」と返すといった次第。
一方で、俺のバトルじゃないから、などと言いながらモーガンも「で、君の名前はクレジットにあるの?」とやり返したり。なおムーチョの返事は「いや、ない。メアリー・J.ブライジのリミックスにもないし、LL・クール・Jのも、クイーン・ラティファのも、ブラックストリートのにもない」と愚痴をこぼす始末(笑)。

ともかく反響を受けてモーガンは、改めてオールスターに話を聞き、どういう風に“Right Here/Human Nature”が制作されたか彼に説明してもらい、その内容をポストしました。
また同様にムーチョも、このSWVのプロジェクトを仕切っていたA&Rのケニー・オティーズに話を聞き、ケニーによる説明をFacebookに投稿
このオールスターとケニーの説明で見えてくることがあるのでご紹介します。はたして“Right Here/Human Nature”はどのように誕生したのか?